大船ごはん③_「大船海鮮食堂 魚福」

今回は個人的に応援していきたい地元大船のごはん処、グルメをテーマにして記事を書いていきたいと思います。このテーマが始まって3回目にして早くも少し趣旨が変わってしまっていますが、そこは見逃してください。

もともとはコロナの影響により個人的に美味しい、残っていてほしいお店が閉店してしまっている印象があること、大船商店街のお店が入れ替わっていき割とチェーン店的なお店が多くなってきてしまったことに寂しくなってしまい始めたテーマですが、今回記事にしていくお店は恐らくそんな心配はないと言い切れるお店です。その名も「大船海鮮食堂 魚福」です。海鮮居酒屋のようでして比較的最近できたお店で店内もきれいですね。看板も真新しい感じです。

大船海鮮食堂 魚福の外看板

魚福さんには何度か来店しており、新鮮な魚料理を食べるときはここを利用します。数ある海鮮料理でなぜここなのかは後ほど書きますね。最初に入ったときは外看板にあるメニューが魅力的なものが多かったので入りました。当時はフライにハマっていておいしいフライ屋さんをかなり探していた記憶です。※ちなみにフライでのノミネートではありませんのでご注意ください。その看板がこちらです。

大船海鮮食堂 魚福のメニュー一部

なんとも魅力的でないですか?これぞ海鮮居酒屋という感じでものすごく個人的にお気に入りです。そもそも私はお酒が苦手なので夜い訪れることはないのですがお酒が好きな人いとっても充実したメニューなのではないでしょうか?お酒の一覧は取り忘れましたので是非、ご自身で調べてみてください。

いざ!入店だ!

それでは入店してみましょう。お店は実は2階にありまして割と急な階段を上っていきます。すれ違いも少し苦しいかな?と思うくらい狭い幅の階段です。階段の入口に写真のようにマットも敷いてあります。

大船海鮮食堂 魚福の入口階段

今回は運良かったのか、並ばずに済みました。ここは普通に人気店でして開店前に行列が少しできています。お昼時のど真ん中に行ってしまうと間違いなく並びます。ピーク時は2階の入り口からこの階段下まで並んでいる状況なので本当に繁盛しているんですね。消毒を済ませて席に座ります。

本日の注文は「海鮮丼1,200円※1日限定10食です」

注文として狙うのは1日限定10食と名売っている「海鮮丼」です。私は疑い深い人間なのか10食限定が嘘だと思っていましたが本当に時折頼んでも本日は終了しましたなります。11時30分にお店は開店するのですが12時に行って注文したら「終了しています」を言われたことがあります。その日によって当然注文の波はあると思いますので運が良くて13時過ぎに行っても食べれたこともありますが、10食限定は本当のようです。したがってお店に入ったら「お終い」宣言をされるリスクを考慮して第2候補も選んでおく必要があります。ちなみに今回ダメだった場合は「刺身定食」又は「本日の定食(日替わり)を狙っていましが運よく限定10食の「海鮮丼」を注文することができました。

きたぞー!着丼

さぁ、いよいよう注文の品がテーブルにやってきました。海鮮丼を頼んでいますがテーブルに来たのはそれのみではありません。順番に行きましょう。まずあら汁です!

大船海鮮食堂 魚福「あら汁」

味噌汁ではありません。「あら汁」です。このお椀の大きさとあら汁のくせにどっさり入ったイワシ?サバ?のぶつ切りのあらがすごい。もうメインメニューか!ってくらいボリュームがあります。私はこれまでの経験は「貝汁」がほとんどだったので今回の「あら汁」はもうやばかった…豚汁の日もあるようなのですが、豚汁にはいまだに出会ってないです。そして次は小鉢

大船海鮮食堂 魚福:「小鉢」

漬物とオクラと豆腐の何か?があっさりしていて口休めになりますね。そしてもう写真でチラチラ写っているのですがイワシのフライがマストでつきます。これだけでも定食の完成感がありお盆に乗り切るのがやっとってくらいの品数です。

大船海鮮食堂 魚福;イワシフライ

この「あら汁」「小鉢」「イワシフライ」は定食メニューのほとんどの定食にセットとしてついています。なんというコストパフォーマンスでしょうか!そして限定10食の海鮮丼のとーじょーです(※プロレスのリングアナ風に読んでください)

大船海鮮食堂 魚福;海鮮丼

ごはんが見えないくらいの物量が乗っています。そして食せばわかるのですがごはんも「普通」といったのにぎっしり入っています。ちなみに酢飯です。ネタはもう正直よくわかりません。ごめんなさい。この写真には隠れているネタもありまして本当に多彩にのっけてあります!伝わっているかわかりませんが、海鮮居酒屋として魚福によく行く理由はこの物量なのです!そして物量に押されて味が落ちるかと言ううと味もしっかりしています。海鮮ものを食すときに個人的に大切にしているのは「お米」です。正直、海の近くやある程度の地域で食べると海鮮の味の差はよほどでないと私は感じることができません。しかし「お米」ははっきりわかります。以前、三浦で食べた漬けマグロ丼、お値段もそれなりにして、お店には水戸黄門の印籠のように芸能人のサイン色紙がぎっしりな風景の中食べた感想は美味しくない!何が悪いのか?「お米だぁー!」と持論がその時完成した私にとって海鮮は美味しくて当たり前、それを補助する「お米」が何より大切と悟ったのです。その基準で言ううと大船海鮮食堂 魚福さんはお米は美味しく価格とボリュームのバランス、いわゆるコスパが素晴らしかったというところから通っています。お米は個人の主観になりますので価値観は否定しないでくださいね…もっとお金を出せば美味しいお米もあるかもしれませんが、この値段であれば文句はないです。

この日はごめんなさい…

しかしこのボリュームは、この日の私にとって後半はフードファイトになってしまいました。年でかね。食が細くなったのか、今日に限って貝汁でなく具沢山のあら汁が私にとどめを刺したのか?わかりませんが、ボリュームに負けて残してしまいました。本当にごめんなさい。また別のメニューを完食しに行きますので許してください。以上、大船ごはん③ 大船海鮮食堂 魚福さんの紹介でした。

他の大船ごはんの紹介もしています。大船ごはん①「地元酒場あじと」大船ごはん②「らーめん水澄」もよろしければお読みください。

人生5回目の転職_退職経緯①

今回は5回目の転職活動、そして内容を獲得して退職決断をするまでの経緯を思うがままに書いていきたいと思います。この内容についてはいろいろな記事で少し、又は一部を切り取るように時折書いているのですがちゃんとしっかりした詳細を書いていなかったので、ここでしっかり書いておこうと考えました。

1年間考えました…

大きく考える転機となったのが今の職場での昇給チャレンジです。私の会社ではある一定の等級以上になると次の昇給に向けて1年間自己の課題、会社が求める姿勢に対しての改善アクションを取り組む姿勢が問われます。その一環として月に一度自分が所属する部署以外の2等級以上離れた人間と面談をします。そして半期に1度のペースで直上長と面談という仕組みです。自分の所属外の人間と面談を通称「第3者評価者面談」と呼んでいます。この第3者面談なのですが正直、運です。私は幸運にも入社してからの初年以外は3年連続でこの昇給チャレンジをしているのですが同じグループの同じ評価基準と言うわりには、要求してくること、指摘してくるこことが本当にバラバラでした。チャレンジしている私にとっては、かなり曖昧な評価のされ方の印象しかなく1年間この第3者評価担当者に振り回されるので正直面倒な制度と感じていました。

面談者の選定は上司の指名制となるのですが、まだ会社としても創業30年程度、そしてこの昇給制度の歴史が浅いことは明らかであり基準が人の気分次第によることが大きいのです。しかも第3者評定者はこの制度を受ける側になったことがないので状況がわかっていません。それに関する研修もないので本当にその人の力量によってしまいます。この運があったのか!?どうかはこの後の人生次第にはなりますがこの面談が大きな転機となってきます

【陸上自衛隊色】マラサイとジ・O

面談は口論の連続…

この昇給面談がスタートして最初は怒りしか正直なかったです。普段一緒に仕事をしていない、ほぼ初めて会った人間にこれまでの自分の仕事姿勢やスキルなど言いたいことを徹底的に言われます。いま考えると第3者評価者という立場を利用したパワハラでしたね。印象に残っている言葉としては「会社はあなたのスキルを試す場ではない」上司からのオーダー業務に対して「それをやってなんの意味があるのか?やらない方がよい」「管理部門の人間のくせに次の等級に上がるのは贅沢だ!」「あなたの上司はそんな贅沢な体制をとることで一体何がしたいんだ!」など罵声ではありませんが正直否定の言い回しが続きます。この中で一番今後の人生を考えたのは「管理部門の人間のくせに次の等級に上がるのは贅沢だ!」の一言です。この一言を放っているのは会社の主軸となっていて昇給する面談の第3者評定者になっているような人間です。そんな人間がこの管理部門に関する人間を軽視する姿勢がものすごく許せなかったこともあり私自身も感情的に応戦してしまっていたことは覚えています。

これは会社全体として管理部門を軽視する根強い文化があることを確信に変えた瞬間でした。以前、この会社のFCオーナーの方と縁があり一緒に仕事をしたときに話を少し聞いていました。この会社にいるプロパー社員の管理部門の人間は現場で使えない烙印を押されてしまった可哀そうな人たちであること。そのことで自信がなくのびのびと仕事ができていない。今でもその風潮は根強く残っておりこの文化を変えていかないとまずい旨の話を聞いておりました。なぜその方が私にこんな話をしたかと言うと、中途社員ではあったが自分の信念と自信をもって仕事をしている私がものすごく目立った人間に写っておりその状況を共有しておこうと考えたことは教えてもらっています。

その時の管理部門の扱いが1人の噂話程度に聞いていた印象が一気にこの第3者評価者の一言で確信に変わったのです。この確信に変わったことが、この年で40歳を迎えた私にとって残りの人生を深く考えるきっかけとなりました。

会社に残り続ける自分を想像する…

このような経緯から私はまず今の会社に残り活躍していく自分を想像していきます。この会社は定年65歳です。残り25年間をこの会社で過ごすことになります。私自身の立場や権威としては恐らく自惚れかもしれませんが、いい感じの所までは登れる自信はありました。現時点でほぼ部長レベルの視座をもって仕事をする環境であり、上司に職位はないが実質ナンバー2のポジションの立場であることを言われたことがあります。そしてこの事業の中期経営計画の数値立案を任せてもらい実際にほぼ100%採用されました。5年後までその中期経営計画を追跡するポジションが確保されています。さらに経営企画部、経理財務部、内部監査室など様々な会社の主要期間に顔は売れている状況です。上司以外の役員にも顔は売れており、社長とも仕事が時折依頼がくるくらいです。「鶏口牛後」という言葉もあるように、この組織である程度の権限で仕事をしていた方が幸せを感じるかもしれません。そして人間関係も悪くなく楽しみながら仕事はできている状況です。小さな喧嘩は時折しますが修復できる関係であり大きな歪や業務のやり辛さは大きくは感じていません。

しかし悪い点もあります。先に触れたように管理部門を軽視する文化は私1人の人間ではどうにもなりません。残り定年までの25年間給与が上がり辛い状況になることは間違いないです。次の等級が上がったとしても、その次の等級は現場担当でも大きな壁であることは聞いていました。なのでおそらくは次の等級で昇給は止まり、10年とかの時間をかけてその次の等級を目指して昇給していくことを想像することになりました。この点は非常にモチベーションを下げることになりました。

要求されることは大きくなる一方…

しかしそんな中、中期経営計画を作成するなど行っていく業務は部長並みの仕事が押し寄せてきます。それは経験としてはOKですが収入に反映されて行かない点は非常に不満です。昇給しない代わりにボーナス評定に反映されることも考えられなくはないのですが現場優先の文化でありどんなに頑張ってもプラス1くらいの評定がもらえるくらいにしかなりません。以前に管理部門はどんなに頑張ってもプラス1と話していたのでこれも変えられないと考えていました。業務の質と量が重くなってくるため必然的に残業も増えていきましたが私自身、残業が好きではないです。ただお金に換わるだけマシと考えて気持ちの落としどころとしてはアリですがね…。しかしその残業も無茶な納期が目立ちはじめ、休日に時間を使って間に合わすことの要求まで来ました。その休日に行った業務に対する時間は勤怠に記録はできたのですが、なんとお金に換算されません。いろいろ調べましたが今の職場の勤怠制度から見ると違反ではないようでしたので仕事のやり損です。残業もお金に換わるからと腹落ちしていた自分にとってこの業務指示は非常に許せない点でありました。

なんか書いていくと止まらないですね。このまま書いていくとかなりの長さになるかもしれませんので、今回はここまでにしておきます。続きは「退職経緯②」で書いていきたいと思います。

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