人生5回目の転職_退職経緯②

退職経緯から少し時間が空いてしまいましたが、今回はその続きを記事に起こしていきたいと思います。このシリーズ書き始めて思ったのですが、どうしても愚痴になっていきますね…転職活動を始めるときに割と自己分析したつもりでいたのですが本当の転職理由の本質がここに書いている記事の内容なんでしょうね…キャリアアップとか自分にとって都合の良い言葉、他社からもマイナスイメージでない言葉で面接とかも挑んでいましたが改めて書いていると自分の本質というか要求が見えてきたという現状の感想です。

退職経緯①では…

さて、前回の記事では今回の転職に至った経緯として会社の昇給チャレンジイベントによる会社根本の背景であることを中心に書いておりました。これが本当に私にとって大きいことでしたので一番の決意のきっかけです!今回の記事もこれがらみから派生している内容となります。昇給チャレンジについては、話が合わない第三者評価者と上長がこれから会社で過ごすうえで、取り組んでほしい業務内容を昇給するためのマインドの変化を起こさせると同時にある意味コミットさせるイベントの性質もあります。

会社から求められる課題は「育成」の意識

今回の1年間の面談を通して求められていくのは、ずばり!「育成」です。この会社は「人財」を「人財」と書いている会社です。まぁ、正直に言ってしまえばブラックくさい感じは受けると思います。ただ私自身はあまりこれに関しては抵抗はない世代です。あまり気にしません。求めらる内容についても、企業が大きくなることを真剣に自分なりに考えていくと、違和感なくごもっともの内容なので要求される理由もわかります。しかし、ここが会社の考えと違ったしまっている点なのです。会社側は「人財育成は職位関係なく誰もが行うこと」私の考えは「人財育成も業務であり、それを要求するのであれば職位が欲しい」という立場です。私の仕事観の中で部長、課長など職位をもつ管理職は育成にコミットするべきと考えています。したがって職位のない、そして今後も与えられない状況の中で、事業全体と言う広大な範囲の育成、研修制度の構築に従事すること、求めらることはおかしいと考えていました。

自分の将来は専門性を身に着けたい!

また、私はオールラウンダーになるよりその道のスペシャリストを目指していることを宣言していました。その思考は上司も認知しているにも関わらず研修の立案など人事のようなことを次の昇給に対して求めてきたのです。私は分析思考が強く、学者のような気質をもっています。この気質は上司が私に行ったストレングスファインダーでも明らかになっていることです。その強みを最大限に伸ばして、数値関連の分析、専門家になっていきたい自分にとっては将来の方向性がまるで違っていると考えてしまいました。

上司曰く、「数値分析についてはもう十分であり社内でもトップクラスであることは認識している。」とのこと。しかし私の認識は、まだまだ社内にくすぶっている数値を掘り起こし現実を明らかにしていきたい。いろいろな数字を見るチャンスがあり、それが自分の伸びしろと考えていました。

そして、求められてくる業務が増えるということは、現状の業務を手放すこともしなければなりません。現状の業務を抱えたまま、会社に求められ来る育成、研修構造の構築を作っていくことはキャパとして不可能です。なのでこの会社からの要求は事実上の業務転換と理解しました。

言っている事とやっている事の違いもストレス

このような話が面談中にもあったこともあり、一度は飲み込んで会社から求められる育成、研修構築に力を入れた時期もありました。しかし当然、今後の自分に何がプラスになるのか腹落ちしていない状況もあったため、モチベーションが上がらずやる気になりません。またトライアルで企画する研修も、受講する側の態度、姿勢が「なんでこんなことをしなきゃいけないの?」の感じがものすごく出ており嫌な気持ちになります。上司から行う必要性がメンバーに当然浸透がなく、受講する側もやらされ感丸出しとなります。

また、せっかく一旦飲み込んで、ある程度覚悟をもって業務を研修構築向けにもっていっている自分に上司が邪魔をしてきます。これまでやってきた数値関連の分析業務を私に依頼してくるのです!しかも私がやることが当たり前のように依頼をしてきます。当然、工数もない状況である事と、業務の力の重心を数値でなく、研修育成にシフトしている状況なので依頼物に対する対応も雑になります。それが気に食わないのか上司も私の仕事に対して文句を言ってきます。会議体の中で私1人をターゲットにして詰められたこともあります。私も反論はしており今の役割は数値でないはず。その状況で依頼をしてきて内容に文句を私に言ってくるのはおかしい!このような食い違いが複数回発生していたため、私の上司に対する対応もどんどん変化していきました。正直に仕事がやり辛い、ストレスがものすごかったです。

将来を想像する…

私が行っていた仕事、数値分析については後任、補充の話もなく時間が過ぎ去るばかりの状況でした。しかし上司の対応は変わらない。こんな状態が続く中で半年が過ぎて昇給チャレンジの最終面談日を迎えました。まず第三者面談からの話をしますと何ら変わりなく、言われたことは「管理部門として次のグレードは贅沢、言動は変化しているがあと3年は今のグレードで頑張ったほうが良いと思う」とのことで事実上不合格宣言です。この評価表明の中で一番許せなかったのが、やはり出てきた管理部門軽視の「贅沢」という能力とは関係のない話で不合格となっていた点です。最終的には直属上司の判断で昇給の決済はできるのですが上司も最終面談の場でグループ内での管理部門の立ち位置とそもそも管理部門で私が目指す次のグレード等級は珍しい旨を話してきました。また私も正直にものを言ってしまうため、「会社から求められている育成、研修業務構築は理解したが、数値分析担当としてやりたい気持ちもまだある。業務を切り替える覚悟はまだない」との胸の内も話しました。その際に上司は、やりたくないのであれば別から違う人間を引っ張ってこなくてはならない旨を話、私でなくても別によい旨を話出しました。正直、業務を変更してまで私にやってほしい何か理由があることを想像して、その言葉を期待してしまっていた自分もいたのですが、結局「誰でもよい」の話を聞いてしまったことは大きくショックを受けたのを覚えています。このような上司とのやり取りが、40歳を迎えて、会社にとどまると残り定年まで25年ある自分の将来を深く暗いイメージにさせたことになります。

気持ちは転職へ…

このような気持ちの変化が、他の会社で今の自分の仕事でできそうなところ、管理部門を軽視せず昇給のチャンスがまだあるところということを希望して転職活動に踏み切ることになったのです。最初は軽い気持ちで今の自分の能力でどの程度の条件でオファーや内定があるのか市場価値を知ることのつもりで転職サイトに登録をしています。今度この転職活動の状況を記事にさせて頂きますね。今回はここまでとなります。最後まで読んで頂き有難うございました。

人生5回目の転職_退職経緯①

今回は5回目の転職活動、そして内容を獲得して退職決断をするまでの経緯を思うがままに書いていきたいと思います。この内容についてはいろいろな記事で少し、又は一部を切り取るように時折書いているのですがちゃんとしっかりした詳細を書いていなかったので、ここでしっかり書いておこうと考えました。

1年間考えました…

大きく考える転機となったのが今の職場での昇給チャレンジです。私の会社ではある一定の等級以上になると次の昇給に向けて1年間自己の課題、会社が求める姿勢に対しての改善アクションを取り組む姿勢が問われます。その一環として月に一度自分が所属する部署以外の2等級以上離れた人間と面談をします。そして半期に1度のペースで直上長と面談という仕組みです。自分の所属外の人間と面談を通称「第3者評価者面談」と呼んでいます。この第3者面談なのですが正直、運です。私は幸運にも入社してからの初年以外は3年連続でこの昇給チャレンジをしているのですが同じグループの同じ評価基準と言うわりには、要求してくること、指摘してくるこことが本当にバラバラでした。チャレンジしている私にとっては、かなり曖昧な評価のされ方の印象しかなく1年間この第3者評価担当者に振り回されるので正直面倒な制度と感じていました。

面談者の選定は上司の指名制となるのですが、まだ会社としても創業30年程度、そしてこの昇給制度の歴史が浅いことは明らかであり基準が人の気分次第によることが大きいのです。しかも第3者評定者はこの制度を受ける側になったことがないので状況がわかっていません。それに関する研修もないので本当にその人の力量によってしまいます。この運があったのか!?どうかはこの後の人生次第にはなりますがこの面談が大きな転機となってきます

【陸上自衛隊色】マラサイとジ・O

面談は口論の連続…

この昇給面談がスタートして最初は怒りしか正直なかったです。普段一緒に仕事をしていない、ほぼ初めて会った人間にこれまでの自分の仕事姿勢やスキルなど言いたいことを徹底的に言われます。いま考えると第3者評価者という立場を利用したパワハラでしたね。印象に残っている言葉としては「会社はあなたのスキルを試す場ではない」上司からのオーダー業務に対して「それをやってなんの意味があるのか?やらない方がよい」「管理部門の人間のくせに次の等級に上がるのは贅沢だ!」「あなたの上司はそんな贅沢な体制をとることで一体何がしたいんだ!」など罵声ではありませんが正直否定の言い回しが続きます。この中で一番今後の人生を考えたのは「管理部門の人間のくせに次の等級に上がるのは贅沢だ!」の一言です。この一言を放っているのは会社の主軸となっていて昇給する面談の第3者評定者になっているような人間です。そんな人間がこの管理部門に関する人間を軽視する姿勢がものすごく許せなかったこともあり私自身も感情的に応戦してしまっていたことは覚えています。

これは会社全体として管理部門を軽視する根強い文化があることを確信に変えた瞬間でした。以前、この会社のFCオーナーの方と縁があり一緒に仕事をしたときに話を少し聞いていました。この会社にいるプロパー社員の管理部門の人間は現場で使えない烙印を押されてしまった可哀そうな人たちであること。そのことで自信がなくのびのびと仕事ができていない。今でもその風潮は根強く残っておりこの文化を変えていかないとまずい旨の話を聞いておりました。なぜその方が私にこんな話をしたかと言うと、中途社員ではあったが自分の信念と自信をもって仕事をしている私がものすごく目立った人間に写っておりその状況を共有しておこうと考えたことは教えてもらっています。

その時の管理部門の扱いが1人の噂話程度に聞いていた印象が一気にこの第3者評価者の一言で確信に変わったのです。この確信に変わったことが、この年で40歳を迎えた私にとって残りの人生を深く考えるきっかけとなりました。

会社に残り続ける自分を想像する…

このような経緯から私はまず今の会社に残り活躍していく自分を想像していきます。この会社は定年65歳です。残り25年間をこの会社で過ごすことになります。私自身の立場や権威としては恐らく自惚れかもしれませんが、いい感じの所までは登れる自信はありました。現時点でほぼ部長レベルの視座をもって仕事をする環境であり、上司に職位はないが実質ナンバー2のポジションの立場であることを言われたことがあります。そしてこの事業の中期経営計画の数値立案を任せてもらい実際にほぼ100%採用されました。5年後までその中期経営計画を追跡するポジションが確保されています。さらに経営企画部、経理財務部、内部監査室など様々な会社の主要期間に顔は売れている状況です。上司以外の役員にも顔は売れており、社長とも仕事が時折依頼がくるくらいです。「鶏口牛後」という言葉もあるように、この組織である程度の権限で仕事をしていた方が幸せを感じるかもしれません。そして人間関係も悪くなく楽しみながら仕事はできている状況です。小さな喧嘩は時折しますが修復できる関係であり大きな歪や業務のやり辛さは大きくは感じていません。

しかし悪い点もあります。先に触れたように管理部門を軽視する文化は私1人の人間ではどうにもなりません。残り定年までの25年間給与が上がり辛い状況になることは間違いないです。次の等級が上がったとしても、その次の等級は現場担当でも大きな壁であることは聞いていました。なのでおそらくは次の等級で昇給は止まり、10年とかの時間をかけてその次の等級を目指して昇給していくことを想像することになりました。この点は非常にモチベーションを下げることになりました。

要求されることは大きくなる一方…

しかしそんな中、中期経営計画を作成するなど行っていく業務は部長並みの仕事が押し寄せてきます。それは経験としてはOKですが収入に反映されて行かない点は非常に不満です。昇給しない代わりにボーナス評定に反映されることも考えられなくはないのですが現場優先の文化でありどんなに頑張ってもプラス1くらいの評定がもらえるくらいにしかなりません。以前に管理部門はどんなに頑張ってもプラス1と話していたのでこれも変えられないと考えていました。業務の質と量が重くなってくるため必然的に残業も増えていきましたが私自身、残業が好きではないです。ただお金に換わるだけマシと考えて気持ちの落としどころとしてはアリですがね…。しかしその残業も無茶な納期が目立ちはじめ、休日に時間を使って間に合わすことの要求まで来ました。その休日に行った業務に対する時間は勤怠に記録はできたのですが、なんとお金に換算されません。いろいろ調べましたが今の職場の勤怠制度から見ると違反ではないようでしたので仕事のやり損です。残業もお金に換わるからと腹落ちしていた自分にとってこの業務指示は非常に許せない点でありました。

なんか書いていくと止まらないですね。このまま書いていくとかなりの長さになるかもしれませんので、今回はここまでにしておきます。続きは「退職経緯②」で書いていきたいと思います。

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