学生時代の延長戦_専門学校時代も苦労人

専門学校も行きました!

大学時代の話は過去記事で書かせて頂きましたが、今回はその後の2年間の話をしていきたいと思います。記事タイトルの通り私は大学4年制を卒業後に専門学校に2年間通っています。なんでこんな選択をしたのかというと、新聞奨学生をしていた私は就職活動に大きく乗り遅れてしまったのです。卒業単位を3年制までにキチンとほぼ取り終えた私でしたが就活の始まるじきやセミナーなど大学が主催するイベントに昼間参加できず情報が取得できなかったことが原因ですかね。さすがに社会人経験など始め方もわからない状況でしたので、ある意味「逃げ」もあったかもしれません。かねてから興味のあった資格取得を目指して極貧生活から憧れのお金持ちへ一発逆転を狙ったのです。

目指すは公認会計士

目指す資格は公認会計士です。難関資格ですね。でも私としては法律と違ってはっきり数字として正解が出せるようになる勉強のほうが性に合っていたこと。当時ライブドアによる日本放送買収の報道が世間を賑やかしており単純に経済や経営に興味を持ったことがきっかけです。客観的にみても学生の幼稚な考え方が強いですね。この時は…。

高校生の時も「踊る大走査線」や「HERO」のドラマ影響で警察官に憧れたり、弁護士や検事に憧れたりしてコロコロ進路を変えていましたし…

でも、私だけではないとおもいますよ。社会を知らない人間が何をもって将来の選択をするかはかなり情報が乏しく難しいことです。そういった経験や考え方もあり、自分の子供にはいろいろな情報を可能な限り教えてあげたいなという気持ちになっています。

本気になったら大原!

いざ、覚悟を決めて専門学校を選んだのは「本気になったら大原」でおなじみの大原簿記学校です。ここの専門課程コースに入学しました。ちなみに専門学校の学費も80%は自費でいっています。この間の生活費も自費です。新聞配達員時代に遊ぶ暇がなくかなり貯蓄できていたのでそれを使っていくことで学校に通うことを親に認めさせました。「お金を出すのは自分である。文句はないだろ!」的な感じです。生活費も貯金を切り崩したのと、勉強集中しなきゃいけないのに週4~5のアルバイトで稼ぐ。そして夜中の3時頃に終わるほぼ深夜シフトで2年間生活していました。

平日のスケジュールはといううと…

午前9時~午後5時まで学校で授業を受ける。この間に自習時間も取ってます。そしてシフトをいれたのはあえての午後9時入りにして、学校とバイト入りまでの間を勉強にあてていたのです。そして夜中3時までバイトしていました。ファミレスのホール担当でして暇なときにポケットに忍ばせておいた暗記ものをこっそりやっていたりしましたね。家に帰り8時くらいにおきるといる超ハードスケジュールです。

敵は友人…

住処については大学時代に友達になった人とルームシェアをしていました。これが後々やめとけばよかった反省点ですね。このネタはまたどこかで記事します。はっきり言って友情は崩壊しました。まぁ、同居人である友人は社会人となっており、学生を続けた私を見て気に食わないところもあったのでしょうね。

勉強の状況は…

資格の勉強の進捗はというと1年目はすこぶる好調でした。まぁ計算が多い「簿記」の勉強を徹底的にやるカリキュラムだったからですね。私自身、センスもあったのかクラスでもトップを争う計算力をこの当時は保持していましたよ。(自惚れがぁー!)しかし公認会計士の資格は計算だけではありません。法概念、理論が入ってくるのです。これがつらかったです。会社法の法律や監査論や財務諸表論など概念の勉強は寝不足の私には本当に頭に入ってこない。暗記するにも眠すぎる…。やっぱり無謀なスケジュールだったですね。結局、簿記はトップクラスであるが、理論がダメという状況でしてトータルでみるとかなり試験に合格するレベルとしては厳しかったです。

そして最悪な事件が勃発します。試験2か月前の状況にて精神もくたくた、体も疲れていたせいかアルバイトの帰り、深夜の帰り道に私は自転車で転倒しました!そして運わるく利き腕を骨折してしまったのです。試験直前に利き腕が使えない。つまり計算科目での電卓が使用できない状況となり「もう終わった…」という絶望です。

試験の結果…

試験の結果は当然のように不合格。短答式試験でした60%程度で終わってしまいました。ああ、無常です。難関資格なので通常目指す人は2回目、3回目とチャレンジするのが当たり前の資格試験ではありますが、私自身の体力の枯渇、そして資金不足もあり学生から社会人になる決意をこの結果を受けてすることになります。

人生5回目の退職交渉_2回目

再開…

上司の忙しいスケジュールが空いたことで、約束通り別日程で時間を持つことで話が終わった退職交渉が再開されました。前回の罪悪感がすごかった1回目よりかは既に告白している状況なのでかなりスッキリとした気持ちで迎えることができました。

事前情報として周知されているのは、緊急招集して周知した部長3名、そしてなんと売上1,000憶円企業の代表取締役社長にも相談として既に伝えたのことでした。「そんなに私って重要人物だったの?」と考えたり、そんなに重要だったポジションならもっと私を大切にしてよ!と1人突っ込みをしながら時間を迎えます。

開口一番

まずMTGが始まり、先に切り出したのは上司です。「今日ってなんの話するんだっけ?」のすっとぼけ。私は毅然とした態度で「退職日きめますか。」とレールをずらさないようにしていきます。そんな私の切り返しで抵抗をあきらめたのか上司からも具体的な話が出てきます。

まずが愚痴から始まりました。事前に退職を伝えておくことは常識である。マジでこまる。今後は事前に退職のことを相談してから動いたほうがよいよのアドバイスつきでしたがね。私自身も愚痴は受け止めます。だって私が原因ですからこれくらいはとの思いです。そこから具体的に困っていることがあり、「補充できる人間がグループ内での異動ではできなさそう。」という話と「担ってきた役割のメリットが大きく、新しい体制で行うことに抵抗がある」との相談でした。私の考えを聞かせてほしいとのことだったので、自分なりに引継ぎ者、タスクを考えていたのでそれを話します。

引継ぎとしては…

私が描いている絵は、定型業務は事務職経験は浅いがしっかりとして定型的な役割をもっていないチーム加入歴半年の女性の方へ。そして部長陣からの各種資料のとりまとめを過去の経験から入社してからずっと同じチームで帯同していた女性を候補にあげました。私の感覚的なスキルは教えることはできませんが、資料作りであれば彼女たちで十分やっていけるはず。工数が足らないのであれば1人アルバイトで雇ってしまえば定型業務は十分吸収できるはずと助言しました。私自身が担っていた職人的なスキルは周囲の部長と課長メンバーにて協力してくださいと伝えます。実際に私がいることで、特に課長メンバーの一部は責任感がなく、私がやっているから、自分たちはやらないスタンスが目立ち内心その責任感と予算を持たせている覚悟がなくイライラもしていました。この際に私が抜けることによって「自分でやれ!」「自分でやらなきゃいけない」の環境を作ってしまえばよいとも私は考えていたのです。自分の好きなことしか、他人(会社)のお金を使って商売を行い評価を上げるって私からみてよい感じはしませんでしたね。(これが退職の理由かもしれません)

しかし上司の考えかたとしては私が第三者として監査人のように各々の部署をウォッチして報告することで部署長が負けじと正しい報告をするようになったこと。上司自身と違う数値からみた意見を言う私のポジションのメリットが相当大きかったとのことで尻込みしています。いずれにしろ、こんな事態にしてしまっているのは私ですが、もう去る人間です。ドライにいきます。「考えなおしてもう1年くらい残ってくれないか?」の提案も来ましたが、私自身、今回の転職先は現職よりも待遇面がよく企業規模も大きいためチャンスです。タイミングが全てでありこのような考えに至ったのもこれまでの現職場との比較のうえでの話です。はっきりと「退職の報告をしたことは、こちらも退路をたった意味でそれなりの覚悟でお伝えさせて頂いています。無理です。」と答えました。

結論は…

結果として、まず約5年半を一緒に仕事してきたチーム内の女性です。とりまとめ経験者に打診してみることになりました。上司曰く「彼女の人生も…」と言っていましたが私の人生もあります。引継ぎ候補者は女性であり子供に恵まれるべく日々努力しているような話聞いてはいましたが、そのタイミングまで私も待てません。一度5年半のなかで妊娠をしたが流産となってしまい、それから私も彼女のタイミングをずっと持っていましたが時間切れですね。私の退職については上司から彼女に話すことで同意しました。結局この回も具体的な退職日には至らず、月次ベースと年間ベースの私の業務をまとめてからの話になっています。3回目に続きますね…

2回目の退職交渉の最後に…

最近の私が吹っ切れたのか、この1年間求めていた姿勢が表れて仕事している旨を上司は伝えてきました。どんな様子かというと、残るメンバーに対して寄り添うように苦言を指摘して嫌味がない育成の姿勢がでているとのことです。私自身も残る二人のメンバーは仲が良くないし、会話ができないことを危惧しており残りの数か月で私が嫌われ役となってよい方向に向かって貰いたい一心で行っていることを伝えました。なんでいままでできなかったのか?の質問には「かつて課長の職位で仕事していた時はこんな人当たりで仕事していましたよ!」「現在のチーム組織になってから二人体制になったので職位が外れてフラットな関係で仕事するようになってから意識は希薄になりました」とはっきり伝えます。私がドライと言われてたり。間違っているという意見もあると思われるかもしれまんが、いまいる現職の会社での職位は「育成をしろ」のスタンスの理解です。コロナにより組織変化があり職位が外れてしまった私は、職位を取ったことは「育成しなくてよい」のメッセージと受けとめた人間です。育成をしなくてよいとしたのは会社側と考えたうえで、お金も貰えない、評価されないことに私の工数を使いたくないとの考えだったのです。

その状況を現在の上司は知る機会がなったことは残念ですが、小さいことの積み重ねが評価認識のズレを生んでいることを感じた瞬間でした。課長としてチームを率いていたときに今の上司は一つ上の存在。まぁ、執行役員ですからね。私の間に部長がいたわけです。その部長から伝達しきれないところもあったのでしょう。運命ですね…

3回目を書くことになるとは思いませんでしたが、退職交渉_3回目に続きます。