旅グルメ①_喜多方食堂 山海

今回は新しいカテゴリーとして旅グルメと称し食レポを書いて行きたいと思います。すでに類似して「大船ごはん」と題して地元の好きなお店を紹介させて頂いております。今回の「旅グルメ」は大船以外の食レポと考えて頂ければ幸いです。大船にはまだまだいっぱい紹介したお店があるのですが、大船以外で食事をすることが最近増えておりこの体験を記事にできないのがもったいないと考えていました。そこでこの「旅グルメ」として大船以外、地元飯以外の紹介として設立した経緯です。おそらく「旅グルメ」シリーズのほうが後々、記事が多くなってくると思います。大船もちょっと地域的には限定しすぎた感があるので、鎌倉と範囲を広げていきたいと近々考え中です。

1回目は朝ラーメンです!

旅グルメ最初の1件目はラーメンになります。別記事にも書いておりますが、私、近々転職となり新しい職場で活躍の場を移すことになります。退職先の業務引継ぎも落ち着いてきて、少し時間ができているので小旅行を繰り返しているのが最近の近況となります。今回の1件目は、旅行と言うよりかは、新しい転職先に早くなじむため自発的に関連する施設を歩き回って、顧客の立場から見ておこうと考えて近県を土日は歩き回っています。その1日の朝、移動へて最初に訪れた街が錦糸町になります。その錦糸町で朝食をとることを模索して検索でヒットしたのが今回のお店となり、人生初めての朝らーめんとなります。

お店の名は「喜多方食堂 山海」さん

店名から想像のとおり、喜多方らーめんのお店です。営業時間は朝7時からと本当に早い!店内のポスターをみる限りですが、最近話題の朝らーめんは喜多方地方の文化として根付いているとか。早朝の農作業後にらーめんを食べる文化とのことです。らーめんがいかに地域に根付いた文化かを知らされました。

Googleの混雑時間帯のグラフをみるとやはり、朝からお昼ごろにかけて波が高いです。そして、その時間帯でお店が成り立っていることに驚きです。

注文は「かけらーめん 朱」630円

錦糸町駅から5分くらい歩いたところにお店があります。公園沿いの道なので初めてでも道がわかりやすく、訪れやすいお店と思いました。錦糸町ではこのお店を含めて4点が朝らーめんを実施しているようですが、醤油好きの私は迷いなくこのお店をセレクトしています。

お店について食券を購入です。朝らーめんなので、朝はこの早朝限定の1品のみと思いきや通常メニューも購入可能の設定でした。朝からがっつり食べた方にはいいですね。喜多方らーめんはあっさり系と私の中でのジャンルとなっていますの通常メニューを注文してもよかったかもと後から思いましたが、旅はその地域、お店に従うものとも考えており、郷に従うことにした結果注文したのは「かけらーめん 朱」です。「朱」と書いて「あか」と呼んでいるようです。日本蕎麦やうどんは「かけ〇〇」をよく聞きますが「かけらーめん」は初めて聞く響きです。インスタントらーめんでいう素らーめんと同じですね。

本当にシンプル!「かけ」だった!

いざ、注文の品テーブルにきした。写真は少しお箸を入れてから撮影を忘れてしまい慌てて撮ったものです。ただ、本当に「かけ」なので見た目はこの写真の通りです!麺ときねぎを少々というシンプルな一品ですね。らーめんが届いたときは思わず笑みを出してしまいました(笑)

ただ麺は普通盛りにしていますが、通常のお店のらーめんと比べると量は多いと感じました。麺はちぢれ麺です。スープは想像の通りの醤油味。安心して頂ける味です。変に出汁の風味とか邪魔はなく醤油の味や香りをしっかり堪能させて頂きました。せっかくきたので少し胡椒の風味との相性を楽しみたくて、胡椒投入をしたのですが、入れ過ぎてしまい最後は少し辛くなってしまいました。自分が悪いのですが残念です。正直言ううと味変しなくても十分最後までおいしく食べれる状況だったので、機会を自分で壊してしまい反省しております。

斬新な体験でした。

ということで、人生で初めての朝らーめんでした。朝からラーメンということが、自分の概念には全くなかったので食事後の胃もたれなど心配でしたが「朝から目覚める一杯」となり勢力的にこの日は活動できました。なかなか普段の朝、お店に足を運びラーメンを食すことはできませんが、旅路の朝のイベントとして今後も検討して行きたい体験となりました。私の地元鎌倉も割と朝食を提供する飲食店が増えていますが、ホテルの朝食でなく朝から勢力的に活動する動機としては、かなり良いと思いました。らーめんに限らず、旅路のその土地に根付いた朝ごはんに触れることもよい、観光資源になりますね。私も旅行に行く際の計画には朝ごはんも練りこんで今後は旅したいと思いました。

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社会人1社目の会社_後編:職業は講師

転職人生として歩み始めた最初の1社目について書かせて頂いています。今回はその後編となっています。社会人講座の簿記の専任講師として歩み始めた社会人の私。礼儀などはここで叩き込まれておりその基礎が今でも生きています。前編は割と良いところを書きましたが今回は転職経緯になっている内容をズバリ書いていきますぞ!

前編はこちらからどうぞ

社会人講座の講師の仕事とは?

講師の仕事ってあまり世の中で出回っていない気がしますので一通り語っていきます。講師や先生ってただ教えているだけと思われているかもしれませんが、業務の大部分を占めていくのが講義の予習です。ただ幸いにも法律や会計基準の変更がなければこれに苦しむのはせいぜい2年目までです。教える内容などは一緒なので、内容が頭に入っているので苦も無く授業ができるようになります。義務教育の先生もこれに苦労するのでしょうが、内容が変わらないのに予習が大変と言っている先生はそもそも能力がないですね。恐れ多い発言ではありますが…でも先生の労働環境で伝わってくるのがこの予習なので、経験者としは不思議な気持ちでニュースや新聞記事を読んでいます。

ある程度、予習に慣れてくると次に大変なのが生徒対応です。これは人間個性が違いますので全く同じではできない仕事です。ただ経験を積んでいくと、アドバイスの引き出しも増えてくるので楽になってきます。中堅からベテランになって大変になってくるのが作問作業です。問題を新規作成、教材を作っていく仕事になります。ここは義務教育の先生たちと違うてんです。私が所属していた資格学校は専門課程と呼ばれる短大と同じ扱いとたるコースも存在していました。そっちに所属する講師は教育が中心になるので教材作成はしません。社会人講座を担当する講師は教育はしないので、教材作成に労力を回される仕組みになっていたのです。

知識は身につく…

かなり専門の書籍を読み漁り、問題文の根拠や背景となる裏付けを確認しながら作成していきます。こんな作業をやっていると嫌でも知識はついてきます。このおかげて専門分野である管理会計は公認会計士試験で管理会計だけは満点を取るという兵に私は成長していきます。ただ、かなり理不尽なことがありました。「教材作成や講義の予習は家でやれ!」と堂々と上司から言われるのです。職員室でそれを行っていると暇とみなされて、パンフレット制作や、配布物チラシの校閲作業に回されます。持ち込み残業でありますが勤怠は当然取られておらず、サービス残業となります。

東京本部で労基が入ったらしくて、当時は地方学校にその作問、教材作成があふれるばかりに押し寄せていました。休日は1日作成作業です!授業時間が延長してしまい、校舎を締める作業で時間外労働が発生してもサービス残業です。後々、妻にこの話をするとかなりブラックだねと言われました。

公休も消化できないことが多く、唯一こちらは休日買取制度でかなり買い取られていました。その買取の意志は本人でなく、勝手に上司が買取申請して行きます。親族の不幸でも有給は使えず、有給を使ったのは転職4社目の会社で初めて使っています。

ストレスで身体を壊す…

そんな精神が不安定になる職場です。同僚との仲は悪くなる一方です。特に上司とは…

もともとアレルギー体質であったこともありますが、そんな環境で過ごしていた6年目についに身体に異常が発生しました。咳が止まらない状況となったのです。診断はアレルギー性気管支炎。発症のトリガーはストレスです。咳がひどく、講義ではなしにくい状況、受講生の方にも迷惑をかける感じが余計にストレスを増しました。

一時は咳をし過ぎて、喉をきり吐血するくらい酷かったです。薬を飲んで治るものではないので、こんなさなか転職を考えることになり、実際に転職をすることになりました。

一番良かったこと

ただ、こんな状況のなか仕事をする中で人生で一番良かったことがあります。妻と出会えたことです。実は私の妻は、私の講座を受講していた受講生です。先生と生徒ってやつですね。実際は講座が終わってから、しばらくたってからたまたま私が通いだしたスポーツジムに妻も通っていて偶然再会したのが馴れ初めです。

この後も転職を繰り返す私を、心から支えてくれており結果的に40歳で50代の男性平均年収を余裕でこえる評価を勝ち取れている事実は紛れもなく妻のおかげです。

心から感謝しています。本当にありがとう!

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