F12023観戦日記②

前回のこのテーマから1週間が過ぎました!2023年F1日本グランプリまでいよいよ約2週間に迫ってきたこの頃です。楽しみ過ぎて本当に毎日のように掲示板や関連ニュースを探して準備期間を楽しんでいます。退職日まで約1か月となるので引継ぎなどもある程度落ち着いており残りの1っか月は心のリフレッシュと新しい職場に行ってからのメンタルに耐えるべく体づくりも励んでいます。

心のリフレッシュとなるこの日本グランプリの観戦は一番のメイン処です!まだ旅路の準備も整っていませんが現状の心境を書いて行きたいと思います。

2022年F1日本GP:予選後のGPスクエアにて

残念なイタリアGP

直近のレースはイタリアGP、モンツァで行われたF1です。注目のアルファタウリでは前戦のオランダGPにて骨折してしまったリカルド選手に代わってリザーブドライバーのローソン選手が代走となりました。ローソン選手は日本で行われているスーパーフォーミュラに今年は参戦しており1年目ながらチャンピオン争いに食い込む実力を繰り広げています。将来のF1ドライバーと身近で接するチャンスであることは認識しておきながら、観戦に行けていなかったのは痛恨の極みです!来年は新しい職場となり、しかも日本GPは4月に変更となるのでよほどのことがなければスキップのテレビ観戦の予定です。その代わり国内レースをがっつり観戦しようと考えています。

そのよほどのことがありそうな予感がする推しドライバーの角田選手。イタリアGPは予選11位となり、決勝でのポイント獲得に期待がかかった矢先になんとスタート前にエンジンブローという最悪の展開でした。本人のせいではないのですが、レースを視聴する気持ちがなえる展開です。非常に残念です…。その角田選手がレッドブル昇格となれば、4月も予選、決勝は意地でも見に行きますぞ!

唯一走ったローソン選手も安定な走りを見せており比較対象がなく良い評価を得る結果。角田選手の来年のシートは本当に安泰なのかも不安になってきましたよ。角田選手にはシンガポールGPと日本GPでポイントや荒れたレースでのごっつぁん表彰台を目指してほしいです。

イタリアGPの優勝は10連勝という、歴史的な偉業を継続中のフェルスタッペン選手です。去年は日本GP鈴鹿でワールドチャンピオン決定の瞬間に立ち会わせてもらいありがとうございました。来年からは4月開催となるので、このままレーススケジュールに変更がなければ日本で立ち会える最後の場であったかもと思うと本当に感謝です。もしかしたら今年の2023年も本当に完璧に事が運んだら日本で決定するくらい話題がありますが、ちょっと条件面が難しそうですね…。ぶっきらぼうなフェルスタッペン選手ですが、実は日本ファンが好きで、ホンダへの感謝で再度決定の場を日本GPの鈴鹿の地でと考えているかもしれませんがね…想像ですよ。

気になるのは…

そんな海外レースをテレビ観戦しながら最近きになるのはやっぱり天気です!一部の天気サイトでは22日~24日の天気情報も確度が低いながら出てきております。毎日朝起きて鈴鹿サーキットの天気をチェックする毎日です。本日この記事を書いている時点では降水確率50%の曇り時々雨予報の3日間です。私の願いとしては金曜、土曜日は晴天、日曜日は降ったりやんだりの不規則な展開となる曇り70%,雨30%くらいの天気がレース中は良いなと考えています。他のサイトではまだ晴れマークですが台風がきたら一気にひっくり返るので本当に天気にはドキドキです。去年の決勝レースは雨のため2時間レッドフラッグであったレースでした。ひどいレースコンディションの経験はできたのであれ以上はないだろうと思っていますがやはり現地観戦の天気は重要ですね。

去年は安い雨合羽で対応していたので非常に冷たく、隙間から雨が入ってきたりしたのでつらかった経験からヤフオクでゴアテックス素材の雨合羽を落札。上下セットと思いきや私の確認ミスでなんと下だけという不幸なことが直近起きています。残念です…。仕方なくブランド違いにはなってしまいますが似たような色合いのレインジャケットを再度、探してメルカリで購入です。

雨具は使わないことを願うばかりでありますが、降ったら地獄なので現地観戦される方はしっかり準備して挑みましょう!上下ブランドがそろっていない雨合羽を着ている人がいたら私ですね。きっと…ちなみに雨合羽の色はマクラーレンのパパイヤイエロー的な色あいとなります。中古でかったF1ウェアもいろんなチームをきますので何を着用するかも楽しみです。

メルセデス、初期のレッドブル、アストンマーティン、ルノー、トロロッソ、ロータスなど新旧いろいろなシャツをもっています。そんな気合わせを想像しているだけでも楽しいこの頃、本当に神様、天気についてお願いしますよ!

私の観戦歴などは前回の記事で少し触れています。お時間宜しければそちらもお読みください。「F12023観戦日記①」

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社会人1社目の会社_前編:職業は講師

みなさん、来訪頂きまして誠にありがとうございます。今回はタイトルの通り社会人1社目の会社について書いていこうと思います。

ブログのメインタイトルの通り私の人生を「転職人生」と表現しています。これまで社会人としては次の転職先を合わせて6社、転職回数としては5回を記録している私です。世の中には20回以上転職している人もいるので、転職回数はそれと比較すると全然少ないのですが、日本社会の一般論としては5回の転職は多いと思われがちな回数です。年齢にもよりますし、現状の社会的ポジションなどを加味すると普通と思う方も多いと思いますが、私のように能力がない人間としては多いほうであると自負しております。そんな転職人生の最初の会社となった職場や風土について書いていきますね。

社会人1年目は25歳から

他の記事でも書いているように私は4年生大学を現役で卒業したあと、公認会計士を目指すべく専門学校に通っています。したがって社会人1年目は25歳の時です。特別有名な大学でもないので、この専門学校の2年は見る視点を変えると就職活動からの逃げと思われる経歴ですね。実際そうだったかもしれませんが…私自身はこの2年があったからこそこの社会人1社目となる企業にお世話になることができ、その後の会社でも強みとなる部分が構築できたきっかけと今は考えています。

※学生時代の状況は過去記事にて

というのも、1社目はほぼ縁故採用です。学生として通っていた専門学校で就職先をさがしていたところで、当時の恩師にうちの講師にならなか?と声を掛けられたのです。公認会計士の資格取得を諦めきれずに燻っていた私を「働きながら勉強できるぞ!」と社会を知らない学生に誘惑!?をかけてきたんですね( ´∀` )。全然いまはこの誘いについては何も思っていませんよ!正直1回目の転職活動の時は少し荒んだ気持ちの理由にしたこともありましたがね…

ということで恩師の誘いと当時はまだ勉強を続けていきたい思いがったため私は資格学校の社会人を相手として簿記の講師として歩むことになりました。

面接は圧迫面接です!

縁故入社なので、面接とか楽でしょ?と思われたかた!それは違います!なんとしっかり面接したんですよ!しかも10人対私1人の圧迫面接。時代遅れだし、役職10人集めるって暇か!当時はジーコジャパンだったのでポジション的に左サイドバックに当たる面接官が三都主選手なみのえぐいオーバーラップを仕掛ける質問でタジタジでした。いまではNGと言われている質問「彼女いますか?」とか普通にされましたよ( ´∀` )

それと謎に模擬講義として課題の内容を15分しゃべる感じで大変でした。たまたま全国にある学校の中で意識高い系の人が集まった学校とのちに聞いています。

社会人の基礎を構築していく

無事に時代錯誤の圧迫面接をクリアして私は晴れて簿記講師として活躍していくことになります。いま振り返ると、この会社で社会人としての基礎的な礼儀を教わったと思います。転職先で新人研修やマナー研修はなかったので転職先で普通に挨拶でいない人を見て驚いたのは多分この1社目の礼儀からなんでしょう。

もともと学校ビジネスとして社会人講座以外に普通の学生も受け入れて就職まで面倒をみる企業であったため、その辺のマナーはうるさかったです。電話の受け方はかなり徹底していましたね。そして挨拶もきちんと挨拶する人の方向に体を向けて「おはようございます!」「授業に行ってまいります!」「お昼にいってきます!」「お先に失礼いたします!」は今でも体に染みついており転職先で好感をもらえることが多いです。

入社1年目の苦労

仕事の面は悩みがいっぱいでして1年目は本当に泣きましたね…何より一番辛かったのは25歳の年齢で講師、相手は仕事終わりの社会人なので若さと本当の一般社会を知らない若造のレッテルもあったこと。私自身が無限に時間がいくらでもある学生時代の勉強方法しか知らなかったので仕事しながら勉強をする社会人相手の勉強提案ができなかったこと。こんな要因でクレームがいっぱいきました。「〇〇学校で一番最悪の講師だ!」とも辛辣にアンケートに書かれた思い出が今でもつらいです。悪気なく合格してもらうために、一生懸命に授業、サービスをしていたつもり仕事をしていたので本当につらかったです。クレームも多かったので何度も再教育という研修が入り本当に嫌でした。そういうのを旨くこなしてしまう同期もいたためか余計に私は悪い評価になってしまっていたのでしょうね。

決意!

クレームの要因になっているのは、私が一生懸命になりすぎるあまり指導上の言葉がキツイということもありました。何度も泣いていた時に、心境の変化がありこれが私の現時点までの生き方の一つにつながっていると思います。心境の変化というか、開き直りなんですが、私は「次にクレームが来たら、講師は向いていないので辞めよう」と覚悟を決めたこと。ただ、「頑張って気遣いしながら放っていた表現でクレームをどうせもらうのであれば、言いたいこと(自分の表現)でキチンと言葉を使ってからクレームをもらおう」という気持ちになったことです。どんなに気遣いをいて言葉を選んでもクレームになるのであれば、こちらも言いたい表現を使う覚悟です。社会人向けの講師としては非常に汚い言葉も使います。これを上司に知られたら間違いなく再教育ですね。またいっぱいクレームもらった要因として自己分析すると、上から目線の言葉になってしまっていたことと考えました。なのでクッション言葉や、自分も出来ていないことを認める発言をしたうえで、なるべく受講者の方と同じ目線になったうえで発言する癖をつけたことでクレーム数はほぼなくなりました!この癖は今でも対人コミュニケーションの中で大きな役割を担っています。

講師として全国1位も達成!

1社目となる職業:講師は社歴もこれまでの企業と比べても一番長く6年強続けることになりました。ダメダメな1年目でありましたが、日商簿記検定の合格率を個人、または学校単位で全国1位を取ることを複数回達成するができるくらいに私は成長しています。学校単位の1位はチームリーダーとして率いたうえでので達成です。実績が出てくると会議での発言力が増しますのでベテラン講師に混ざり、講座運営の中核になっていることを自負していました。言いたいことをはっきり言うスタイルが、裏表なく真実を教えてくれる。腹を割って相談できる講師として好評をもらうことができていたのだと思います。

次回、後編ではなぜこの会社を退職したのか?転職する経緯を記事にして行きたいと思います。宜しくお願い致します。

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