社会人1社目の会社_前編:職業は講師

みなさん、来訪頂きまして誠にありがとうございます。今回はタイトルの通り社会人1社目の会社について書いていこうと思います。

ブログのメインタイトルの通り私の人生を「転職人生」と表現しています。これまで社会人としては次の転職先を合わせて6社、転職回数としては5回を記録している私です。世の中には20回以上転職している人もいるので、転職回数はそれと比較すると全然少ないのですが、日本社会の一般論としては5回の転職は多いと思われがちな回数です。年齢にもよりますし、現状の社会的ポジションなどを加味すると普通と思う方も多いと思いますが、私のように能力がない人間としては多いほうであると自負しております。そんな転職人生の最初の会社となった職場や風土について書いていきますね。

社会人1年目は25歳から

他の記事でも書いているように私は4年生大学を現役で卒業したあと、公認会計士を目指すべく専門学校に通っています。したがって社会人1年目は25歳の時です。特別有名な大学でもないので、この専門学校の2年は見る視点を変えると就職活動からの逃げと思われる経歴ですね。実際そうだったかもしれませんが…私自身はこの2年があったからこそこの社会人1社目となる企業にお世話になることができ、その後の会社でも強みとなる部分が構築できたきっかけと今は考えています。

※学生時代の状況は過去記事にて

というのも、1社目はほぼ縁故採用です。学生として通っていた専門学校で就職先をさがしていたところで、当時の恩師にうちの講師にならなか?と声を掛けられたのです。公認会計士の資格取得を諦めきれずに燻っていた私を「働きながら勉強できるぞ!」と社会を知らない学生に誘惑!?をかけてきたんですね( ´∀` )。全然いまはこの誘いについては何も思っていませんよ!正直1回目の転職活動の時は少し荒んだ気持ちの理由にしたこともありましたがね…

ということで恩師の誘いと当時はまだ勉強を続けていきたい思いがったため私は資格学校の社会人を相手として簿記の講師として歩むことになりました。

面接は圧迫面接です!

縁故入社なので、面接とか楽でしょ?と思われたかた!それは違います!なんとしっかり面接したんですよ!しかも10人対私1人の圧迫面接。時代遅れだし、役職10人集めるって暇か!当時はジーコジャパンだったのでポジション的に左サイドバックに当たる面接官が三都主選手なみのえぐいオーバーラップを仕掛ける質問でタジタジでした。いまではNGと言われている質問「彼女いますか?」とか普通にされましたよ( ´∀` )

それと謎に模擬講義として課題の内容を15分しゃべる感じで大変でした。たまたま全国にある学校の中で意識高い系の人が集まった学校とのちに聞いています。

社会人の基礎を構築していく

無事に時代錯誤の圧迫面接をクリアして私は晴れて簿記講師として活躍していくことになります。いま振り返ると、この会社で社会人としての基礎的な礼儀を教わったと思います。転職先で新人研修やマナー研修はなかったので転職先で普通に挨拶でいない人を見て驚いたのは多分この1社目の礼儀からなんでしょう。

もともと学校ビジネスとして社会人講座以外に普通の学生も受け入れて就職まで面倒をみる企業であったため、その辺のマナーはうるさかったです。電話の受け方はかなり徹底していましたね。そして挨拶もきちんと挨拶する人の方向に体を向けて「おはようございます!」「授業に行ってまいります!」「お昼にいってきます!」「お先に失礼いたします!」は今でも体に染みついており転職先で好感をもらえることが多いです。

入社1年目の苦労

仕事の面は悩みがいっぱいでして1年目は本当に泣きましたね…何より一番辛かったのは25歳の年齢で講師、相手は仕事終わりの社会人なので若さと本当の一般社会を知らない若造のレッテルもあったこと。私自身が無限に時間がいくらでもある学生時代の勉強方法しか知らなかったので仕事しながら勉強をする社会人相手の勉強提案ができなかったこと。こんな要因でクレームがいっぱいきました。「〇〇学校で一番最悪の講師だ!」とも辛辣にアンケートに書かれた思い出が今でもつらいです。悪気なく合格してもらうために、一生懸命に授業、サービスをしていたつもり仕事をしていたので本当につらかったです。クレームも多かったので何度も再教育という研修が入り本当に嫌でした。そういうのを旨くこなしてしまう同期もいたためか余計に私は悪い評価になってしまっていたのでしょうね。

決意!

クレームの要因になっているのは、私が一生懸命になりすぎるあまり指導上の言葉がキツイということもありました。何度も泣いていた時に、心境の変化がありこれが私の現時点までの生き方の一つにつながっていると思います。心境の変化というか、開き直りなんですが、私は「次にクレームが来たら、講師は向いていないので辞めよう」と覚悟を決めたこと。ただ、「頑張って気遣いしながら放っていた表現でクレームをどうせもらうのであれば、言いたいこと(自分の表現)でキチンと言葉を使ってからクレームをもらおう」という気持ちになったことです。どんなに気遣いをいて言葉を選んでもクレームになるのであれば、こちらも言いたい表現を使う覚悟です。社会人向けの講師としては非常に汚い言葉も使います。これを上司に知られたら間違いなく再教育ですね。またいっぱいクレームもらった要因として自己分析すると、上から目線の言葉になってしまっていたことと考えました。なのでクッション言葉や、自分も出来ていないことを認める発言をしたうえで、なるべく受講者の方と同じ目線になったうえで発言する癖をつけたことでクレーム数はほぼなくなりました!この癖は今でも対人コミュニケーションの中で大きな役割を担っています。

講師として全国1位も達成!

1社目となる職業:講師は社歴もこれまでの企業と比べても一番長く6年強続けることになりました。ダメダメな1年目でありましたが、日商簿記検定の合格率を個人、または学校単位で全国1位を取ることを複数回達成するができるくらいに私は成長しています。学校単位の1位はチームリーダーとして率いたうえでので達成です。実績が出てくると会議での発言力が増しますのでベテラン講師に混ざり、講座運営の中核になっていることを自負していました。言いたいことをはっきり言うスタイルが、裏表なく真実を教えてくれる。腹を割って相談できる講師として好評をもらうことができていたのだと思います。

次回、後編ではなぜこの会社を退職したのか?転職する経緯を記事にして行きたいと思います。宜しくお願い致します。

転職会議

熱海花火大会にいってきました!

今回は家族サービスとし熱海花火大会に行ってきたエピソードを語っていきます。コロナがある程度世のなか的に収まり、以前の賑わいが増してきた今日この頃。子供が夏休みということもあり、普段できない経験そたまにはさせてあげたいという気持ちでもあり、子供の夏休みの宿題「絵日記」のネタにでもなればと思い企画した一泊二日の家族旅行の思い出となります。

子供のメインは花火ではない

今回の旅行、絵日記のネタとして花火大会を子供に提案しました。しかし子供の目当ては花火ではないのです。子供の一番の楽しみは「クマゼミ」です。まぁ、いわゆる昆虫採取のイベントがメインになっています。というのも鎌倉市付近に生息しているセミの種類は子供曰く「アブラゼミ」「ミンミンゼミ」「ツクツクボウシ」「ヒグラシ」なんですが、どうしても「クマゼミ」を見たいと言っているのです。「クマゼミ」の鳴き声は朝、窓を開けると「シャアシャア」と聞こえてくるのでどうやら近くにはいるようなんですが肉眼で見つからないですよ。大きい黒いからだに透明の羽をもった「クマゼミ」をどうしても近くで観察したいとのこと。子供曰くその生息地は西日本らしいのです。したがって花火大会は西日本となる熱海で「クマゼミ」を見つける次いでに花火大会を見ることになっています。

花火大会には不自然な虫取り網をもつ家族(笑)

そんなことで少し早めに現地入りすべく、虫取り網をもって1時間電車に乗って熱海の隣の駅「来宮駅」に到着です!来宮駅には「熱海梅園」や「来宮神社」などがあり、子供の蝉取りにはうってつけの山、森林が広がるところのようでしたのでその場所を選びました。ただ到着が夕方18時であったこともあり、「クマゼミ」が活動する時間とは程遠い状況。あくまで「次の日に来るための下見だよ!」と子供に言ってはいたのですがそんなことを忘れて子供は「クマゼミ」がいないことでのがっかり感…と熱海の激坂との闘いで疲れ切ってイライラする状態。しまいには歩かなくなるというわがまま坊主に激変してしまいました。花火を見れば子供の機嫌も回復するかもしれないというわずかな望みを載せて、小学一年生を肩車して花火会場までの道のりを汗だくになって私は歩きます。

花火を見ないで寝る子供!?

花火会場についたら、久しく見ていなかったこの世とは思えない光景。人人人の大群衆が花火会場である「親水公園」や「熱海サンビーチ」に覆いつくしています。会場に到着したらそこで何か食べればいいやと思っていた親たちの心を踏みにじる出店の行列に絶望を抱きました。かろうじて一番人気がなかったのか「チョコバナナ」がかなり楽に購入できたことで、癇癪を起している子供の腹を落ち着かせます。道中の肩車とチョコバナナで満たされたことで落ち着きを取り戻し、群衆の隙間を見つけたところで腰を下ろして打ち上げまでの時間を過ごします。打上まであと20分という時間でした。

ただ子供は肝心の花火はまだ先の話、歩き回った足腰のダメージと、普段とは見慣れない群衆の後継にぐったり…、泣きつかれたこともありなんと、ままのお膝で開始5分前んに寝てしまいました。花火が始まれば、爆音で起きるであろうと思っていましたが、なんと花火が実施される25分間を全て爆睡で終わった状況となりました!でもこの子供の爆睡は、いま思うとこの後の絶望を光を指した行動にもなっていました。

熱海駅の入場制限に絶望する…

子供が寝ていたので、花火終了後は起こして自分で歩かせます。それでも途中、花火を見れなかった悔しさで癇癪は起こしていたのですがね…。でも寝たせいか体力は回復しているようでだんだん期限はよくなった状況で到着したのは熱海駅です。そこには普段では味わえない絶望の光景となっていました。なんと駅の改札から伸びる大行列が飛び込んできたのです。これって花火大会後は当たり前の光景なのでしょうか…そもそも21時過ぎの東海道線は本数が少なく、列が流れていない様子と列が一行に縮まらないことで帰りの道中に不安を覚えます。帰りは大船でなく途中駅の小田原で子供の外泊の経験を積ませたくて安宿を予約していたところでした。一旦大人の腹もペコペコの状態であったためマクドナルドで緊急でエネルギーをチャージします。子供も追加で食べている間に私は1人、あたりを歩き回って情報収集です。まず一番不安であったことが電車に乗れるのかどうか?終電も迫った状態でこの大人数をJRはさばけるのか?そんな疑問です。ネットの情報でも特に臨時列車(特急の特別列車は除く)を出している様子はありません。電車に乗れないのであればタクシーで小田原のホテルまでと考えてタクシー乗り場を見るとこちらも大行列です。そしてタクシー配車や電話もつながりません。小学1年生を抱えたまま野宿はつらいです。こんな思考でぶらぶら駅ホームが見えるところまで歩きます。そのホームを見たら驚きの光景です。なんとホームはガラガラなんです。この様子をみて私は悟りました。この入場制限は電車に乗れなくて溢れているわけではないことです。JRとしてホームに人があふれてしまう状況こそが恐れること。ホームから落下など人身事故につながると、それこそ電車の運休、遅延など最悪の事態です。それを防ぐための入場制限だったんですね。

状況を悟って列へ、いざ宿泊先へ!

状況を悟った私たち家族は列に並びます。子供もお腹が満たされたこと、花火大会中25分間爆睡していたこともあり体力が回復している状況がかなり親として安心できることが幸いでした。列に並びギリギリ22時40分の電車に乗ることができ無事に宿泊先の小田原のホテルにつきました。23時過ぎにつき、ギリギリ大浴場も開放されていました。子供もホテルが一番楽しかったらしく、なにより温泉と水風呂の体験が面白かったようです。普段と違う環境で寝れない恐れも、みんなお疲れで、朝まで家族3人で爆睡ちゃんをかましました。朝8時くらいにおきれたこともあり、子供は最後にもう一回お風呂に行きたいとのことでギリギリまでお風呂を楽しんできました。結果何よりです。

熱海花火大会は二度と行きません!

今回は花火大会を甘く見ていた私も悪いのですが、もうこんな経験はこりごりです。二度と行かないですね。花火大会の運営自体は久しぶりのこともあり、四苦八苦であっとことは致し方ないのですが、もう少し情報を流してほしかったです。その他は花火大会は全く関係ありませんが、海外の方も集まるイベントはこりごりです。ものすごくマナーが悪いですね。日本人の若者もかもしれませんが…。路上喫煙は最悪、歩きたばこであるく。列を乱して割り込む。自分たちが優先なのか周りに本当に注意がいかない。一部の人で日本人にもマナーが悪い人は一定数いるのですが、本当に不快です。韓国人かな中国人かわかりませんが、周りを気にせず大声でしゃべる。列を割り込む。ゴミを捨てるなど最悪なので一緒に時間を過ごしたくないです。自分優先な文化なのは、会場でずっとインスタなのか自分を取っている韓国人を見て思いました。ついていけないですよ。こんなこんなで夏休みの思い出でした。
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