今回は5回目の転職活動、そして内容を獲得して退職決断をするまでの経緯を思うがままに書いていきたいと思います。この内容についてはいろいろな記事で少し、又は一部を切り取るように時折書いているのですがちゃんとしっかりした詳細を書いていなかったので、ここでしっかり書いておこうと考えました。
1年間考えました…
大きく考える転機となったのが今の職場での昇給チャレンジです。私の会社ではある一定の等級以上になると次の昇給に向けて1年間自己の課題、会社が求める姿勢に対しての改善アクションを取り組む姿勢が問われます。その一環として月に一度自分が所属する部署以外の2等級以上離れた人間と面談をします。そして半期に1度のペースで直上長と面談という仕組みです。自分の所属外の人間と面談を通称「第3者評価者面談」と呼んでいます。この第3者面談なのですが正直、運です。私は幸運にも入社してからの初年以外は3年連続でこの昇給チャレンジをしているのですが同じグループの同じ評価基準と言うわりには、要求してくること、指摘してくるこことが本当にバラバラでした。チャレンジしている私にとっては、かなり曖昧な評価のされ方の印象しかなく1年間この第3者評価担当者に振り回されるので正直面倒な制度と感じていました。
面談者の選定は上司の指名制となるのですが、まだ会社としても創業30年程度、そしてこの昇給制度の歴史が浅いことは明らかであり基準が人の気分次第によることが大きいのです。しかも第3者評定者はこの制度を受ける側になったことがないので状況がわかっていません。それに関する研修もないので本当にその人の力量によってしまいます。この運があったのか!?どうかはこの後の人生次第にはなりますがこの面談が大きな転機となってきます
面談は口論の連続…
この昇給面談がスタートして最初は怒りしか正直なかったです。普段一緒に仕事をしていない、ほぼ初めて会った人間にこれまでの自分の仕事姿勢やスキルなど言いたいことを徹底的に言われます。いま考えると第3者評価者という立場を利用したパワハラでしたね。印象に残っている言葉としては「会社はあなたのスキルを試す場ではない」上司からのオーダー業務に対して「それをやってなんの意味があるのか?やらない方がよい」「管理部門の人間のくせに次の等級に上がるのは贅沢だ!」「あなたの上司はそんな贅沢な体制をとることで一体何がしたいんだ!」など罵声ではありませんが正直否定の言い回しが続きます。この中で一番今後の人生を考えたのは「管理部門の人間のくせに次の等級に上がるのは贅沢だ!」の一言です。この一言を放っているのは会社の主軸となっていて昇給する面談の第3者評定者になっているような人間です。そんな人間がこの管理部門に関する人間を軽視する姿勢がものすごく許せなかったこともあり私自身も感情的に応戦してしまっていたことは覚えています。
これは会社全体として管理部門を軽視する根強い文化があることを確信に変えた瞬間でした。以前、この会社のFCオーナーの方と縁があり一緒に仕事をしたときに話を少し聞いていました。この会社にいるプロパー社員の管理部門の人間は現場で使えない烙印を押されてしまった可哀そうな人たちであること。そのことで自信がなくのびのびと仕事ができていない。今でもその風潮は根強く残っておりこの文化を変えていかないとまずい旨の話を聞いておりました。なぜその方が私にこんな話をしたかと言うと、中途社員ではあったが自分の信念と自信をもって仕事をしている私がものすごく目立った人間に写っておりその状況を共有しておこうと考えたことは教えてもらっています。
その時の管理部門の扱いが1人の噂話程度に聞いていた印象が一気にこの第3者評価者の一言で確信に変わったのです。この確信に変わったことが、この年で40歳を迎えた私にとって残りの人生を深く考えるきっかけとなりました。
会社に残り続ける自分を想像する…
このような経緯から私はまず今の会社に残り活躍していく自分を想像していきます。この会社は定年65歳です。残り25年間をこの会社で過ごすことになります。私自身の立場や権威としては恐らく自惚れかもしれませんが、いい感じの所までは登れる自信はありました。現時点でほぼ部長レベルの視座をもって仕事をする環境であり、上司に職位はないが実質ナンバー2のポジションの立場であることを言われたことがあります。そしてこの事業の中期経営計画の数値立案を任せてもらい実際にほぼ100%採用されました。5年後までその中期経営計画を追跡するポジションが確保されています。さらに経営企画部、経理財務部、内部監査室など様々な会社の主要期間に顔は売れている状況です。上司以外の役員にも顔は売れており、社長とも仕事が時折依頼がくるくらいです。「鶏口牛後」という言葉もあるように、この組織である程度の権限で仕事をしていた方が幸せを感じるかもしれません。そして人間関係も悪くなく楽しみながら仕事はできている状況です。小さな喧嘩は時折しますが修復できる関係であり大きな歪や業務のやり辛さは大きくは感じていません。
しかし悪い点もあります。先に触れたように管理部門を軽視する文化は私1人の人間ではどうにもなりません。残り定年までの25年間給与が上がり辛い状況になることは間違いないです。次の等級が上がったとしても、その次の等級は現場担当でも大きな壁であることは聞いていました。なのでおそらくは次の等級で昇給は止まり、10年とかの時間をかけてその次の等級を目指して昇給していくことを想像することになりました。この点は非常にモチベーションを下げることになりました。
要求されることは大きくなる一方…
しかしそんな中、中期経営計画を作成するなど行っていく業務は部長並みの仕事が押し寄せてきます。それは経験としてはOKですが収入に反映されて行かない点は非常に不満です。昇給しない代わりにボーナス評定に反映されることも考えられなくはないのですが現場優先の文化でありどんなに頑張ってもプラス1くらいの評定がもらえるくらいにしかなりません。以前に管理部門はどんなに頑張ってもプラス1と話していたのでこれも変えられないと考えていました。業務の質と量が重くなってくるため必然的に残業も増えていきましたが私自身、残業が好きではないです。ただお金に換わるだけマシと考えて気持ちの落としどころとしてはアリですがね…。しかしその残業も無茶な納期が目立ちはじめ、休日に時間を使って間に合わすことの要求まで来ました。その休日に行った業務に対する時間は勤怠に記録はできたのですが、なんとお金に換算されません。いろいろ調べましたが今の職場の勤怠制度から見ると違反ではないようでしたので仕事のやり損です。残業もお金に換わるからと腹落ちしていた自分にとってこの業務指示は非常に許せない点でありました。
なんか書いていくと止まらないですね。このまま書いていくとかなりの長さになるかもしれませんので、今回はここまでにしておきます。続きは「退職経緯②」で書いていきたいと思います。