社会人1社目の会社_後編:職業は講師

転職人生として歩み始めた最初の1社目について書かせて頂いています。今回はその後編となっています。社会人講座の簿記の専任講師として歩み始めた社会人の私。礼儀などはここで叩き込まれておりその基礎が今でも生きています。前編は割と良いところを書きましたが今回は転職経緯になっている内容をズバリ書いていきますぞ!

前編はこちらからどうぞ

社会人講座の講師の仕事とは?

講師の仕事ってあまり世の中で出回っていない気がしますので一通り語っていきます。講師や先生ってただ教えているだけと思われているかもしれませんが、業務の大部分を占めていくのが講義の予習です。ただ幸いにも法律や会計基準の変更がなければこれに苦しむのはせいぜい2年目までです。教える内容などは一緒なので、内容が頭に入っているので苦も無く授業ができるようになります。義務教育の先生もこれに苦労するのでしょうが、内容が変わらないのに予習が大変と言っている先生はそもそも能力がないですね。恐れ多い発言ではありますが…でも先生の労働環境で伝わってくるのがこの予習なので、経験者としは不思議な気持ちでニュースや新聞記事を読んでいます。

ある程度、予習に慣れてくると次に大変なのが生徒対応です。これは人間個性が違いますので全く同じではできない仕事です。ただ経験を積んでいくと、アドバイスの引き出しも増えてくるので楽になってきます。中堅からベテランになって大変になってくるのが作問作業です。問題を新規作成、教材を作っていく仕事になります。ここは義務教育の先生たちと違うてんです。私が所属していた資格学校は専門課程と呼ばれる短大と同じ扱いとたるコースも存在していました。そっちに所属する講師は教育が中心になるので教材作成はしません。社会人講座を担当する講師は教育はしないので、教材作成に労力を回される仕組みになっていたのです。

知識は身につく…

かなり専門の書籍を読み漁り、問題文の根拠や背景となる裏付けを確認しながら作成していきます。こんな作業をやっていると嫌でも知識はついてきます。このおかげて専門分野である管理会計は公認会計士試験で管理会計だけは満点を取るという兵に私は成長していきます。ただ、かなり理不尽なことがありました。「教材作成や講義の予習は家でやれ!」と堂々と上司から言われるのです。職員室でそれを行っていると暇とみなされて、パンフレット制作や、配布物チラシの校閲作業に回されます。持ち込み残業でありますが勤怠は当然取られておらず、サービス残業となります。

東京本部で労基が入ったらしくて、当時は地方学校にその作問、教材作成があふれるばかりに押し寄せていました。休日は1日作成作業です!授業時間が延長してしまい、校舎を締める作業で時間外労働が発生してもサービス残業です。後々、妻にこの話をするとかなりブラックだねと言われました。

公休も消化できないことが多く、唯一こちらは休日買取制度でかなり買い取られていました。その買取の意志は本人でなく、勝手に上司が買取申請して行きます。親族の不幸でも有給は使えず、有給を使ったのは転職4社目の会社で初めて使っています。

ストレスで身体を壊す…

そんな精神が不安定になる職場です。同僚との仲は悪くなる一方です。特に上司とは…

もともとアレルギー体質であったこともありますが、そんな環境で過ごしていた6年目についに身体に異常が発生しました。咳が止まらない状況となったのです。診断はアレルギー性気管支炎。発症のトリガーはストレスです。咳がひどく、講義ではなしにくい状況、受講生の方にも迷惑をかける感じが余計にストレスを増しました。

一時は咳をし過ぎて、喉をきり吐血するくらい酷かったです。薬を飲んで治るものではないので、こんなさなか転職を考えることになり、実際に転職をすることになりました。

一番良かったこと

ただ、こんな状況のなか仕事をする中で人生で一番良かったことがあります。妻と出会えたことです。実は私の妻は、私の講座を受講していた受講生です。先生と生徒ってやつですね。実際は講座が終わってから、しばらくたってからたまたま私が通いだしたスポーツジムに妻も通っていて偶然再会したのが馴れ初めです。

この後も転職を繰り返す私を、心から支えてくれており結果的に40歳で50代の男性平均年収を余裕でこえる評価を勝ち取れている事実は紛れもなく妻のおかげです。

心から感謝しています。本当にありがとう!

転職会議

社会人1社目の会社_前編:職業は講師

みなさん、来訪頂きまして誠にありがとうございます。今回はタイトルの通り社会人1社目の会社について書いていこうと思います。

ブログのメインタイトルの通り私の人生を「転職人生」と表現しています。これまで社会人としては次の転職先を合わせて6社、転職回数としては5回を記録している私です。世の中には20回以上転職している人もいるので、転職回数はそれと比較すると全然少ないのですが、日本社会の一般論としては5回の転職は多いと思われがちな回数です。年齢にもよりますし、現状の社会的ポジションなどを加味すると普通と思う方も多いと思いますが、私のように能力がない人間としては多いほうであると自負しております。そんな転職人生の最初の会社となった職場や風土について書いていきますね。

社会人1年目は25歳から

他の記事でも書いているように私は4年生大学を現役で卒業したあと、公認会計士を目指すべく専門学校に通っています。したがって社会人1年目は25歳の時です。特別有名な大学でもないので、この専門学校の2年は見る視点を変えると就職活動からの逃げと思われる経歴ですね。実際そうだったかもしれませんが…私自身はこの2年があったからこそこの社会人1社目となる企業にお世話になることができ、その後の会社でも強みとなる部分が構築できたきっかけと今は考えています。

※学生時代の状況は過去記事にて

というのも、1社目はほぼ縁故採用です。学生として通っていた専門学校で就職先をさがしていたところで、当時の恩師にうちの講師にならなか?と声を掛けられたのです。公認会計士の資格取得を諦めきれずに燻っていた私を「働きながら勉強できるぞ!」と社会を知らない学生に誘惑!?をかけてきたんですね( ´∀` )。全然いまはこの誘いについては何も思っていませんよ!正直1回目の転職活動の時は少し荒んだ気持ちの理由にしたこともありましたがね…

ということで恩師の誘いと当時はまだ勉強を続けていきたい思いがったため私は資格学校の社会人を相手として簿記の講師として歩むことになりました。

面接は圧迫面接です!

縁故入社なので、面接とか楽でしょ?と思われたかた!それは違います!なんとしっかり面接したんですよ!しかも10人対私1人の圧迫面接。時代遅れだし、役職10人集めるって暇か!当時はジーコジャパンだったのでポジション的に左サイドバックに当たる面接官が三都主選手なみのえぐいオーバーラップを仕掛ける質問でタジタジでした。いまではNGと言われている質問「彼女いますか?」とか普通にされましたよ( ´∀` )

それと謎に模擬講義として課題の内容を15分しゃべる感じで大変でした。たまたま全国にある学校の中で意識高い系の人が集まった学校とのちに聞いています。

社会人の基礎を構築していく

無事に時代錯誤の圧迫面接をクリアして私は晴れて簿記講師として活躍していくことになります。いま振り返ると、この会社で社会人としての基礎的な礼儀を教わったと思います。転職先で新人研修やマナー研修はなかったので転職先で普通に挨拶でいない人を見て驚いたのは多分この1社目の礼儀からなんでしょう。

もともと学校ビジネスとして社会人講座以外に普通の学生も受け入れて就職まで面倒をみる企業であったため、その辺のマナーはうるさかったです。電話の受け方はかなり徹底していましたね。そして挨拶もきちんと挨拶する人の方向に体を向けて「おはようございます!」「授業に行ってまいります!」「お昼にいってきます!」「お先に失礼いたします!」は今でも体に染みついており転職先で好感をもらえることが多いです。

入社1年目の苦労

仕事の面は悩みがいっぱいでして1年目は本当に泣きましたね…何より一番辛かったのは25歳の年齢で講師、相手は仕事終わりの社会人なので若さと本当の一般社会を知らない若造のレッテルもあったこと。私自身が無限に時間がいくらでもある学生時代の勉強方法しか知らなかったので仕事しながら勉強をする社会人相手の勉強提案ができなかったこと。こんな要因でクレームがいっぱいきました。「〇〇学校で一番最悪の講師だ!」とも辛辣にアンケートに書かれた思い出が今でもつらいです。悪気なく合格してもらうために、一生懸命に授業、サービスをしていたつもり仕事をしていたので本当につらかったです。クレームも多かったので何度も再教育という研修が入り本当に嫌でした。そういうのを旨くこなしてしまう同期もいたためか余計に私は悪い評価になってしまっていたのでしょうね。

決意!

クレームの要因になっているのは、私が一生懸命になりすぎるあまり指導上の言葉がキツイということもありました。何度も泣いていた時に、心境の変化がありこれが私の現時点までの生き方の一つにつながっていると思います。心境の変化というか、開き直りなんですが、私は「次にクレームが来たら、講師は向いていないので辞めよう」と覚悟を決めたこと。ただ、「頑張って気遣いしながら放っていた表現でクレームをどうせもらうのであれば、言いたいこと(自分の表現)でキチンと言葉を使ってからクレームをもらおう」という気持ちになったことです。どんなに気遣いをいて言葉を選んでもクレームになるのであれば、こちらも言いたい表現を使う覚悟です。社会人向けの講師としては非常に汚い言葉も使います。これを上司に知られたら間違いなく再教育ですね。またいっぱいクレームもらった要因として自己分析すると、上から目線の言葉になってしまっていたことと考えました。なのでクッション言葉や、自分も出来ていないことを認める発言をしたうえで、なるべく受講者の方と同じ目線になったうえで発言する癖をつけたことでクレーム数はほぼなくなりました!この癖は今でも対人コミュニケーションの中で大きな役割を担っています。

講師として全国1位も達成!

1社目となる職業:講師は社歴もこれまでの企業と比べても一番長く6年強続けることになりました。ダメダメな1年目でありましたが、日商簿記検定の合格率を個人、または学校単位で全国1位を取ることを複数回達成するができるくらいに私は成長しています。学校単位の1位はチームリーダーとして率いたうえでので達成です。実績が出てくると会議での発言力が増しますのでベテラン講師に混ざり、講座運営の中核になっていることを自負していました。言いたいことをはっきり言うスタイルが、裏表なく真実を教えてくれる。腹を割って相談できる講師として好評をもらうことができていたのだと思います。

次回、後編ではなぜこの会社を退職したのか?転職する経緯を記事にして行きたいと思います。宜しくお願い致します。

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